〒371-0022 群馬県前橋市千代田町3-9-13
【問い合わせ】 info@donryu-market.or.jp

昭和22年の新聞広告

呑竜仲店とは1947年(昭和22年)に市の戦後復興計画に基づき大蓮寺墓地跡に復員者が生計をたてる事を主目的に建設されました。 当初645平方メートルの敷地に造られた木造2階建て・住居兼店舗の共同施設には、飲食店をはじめ雑貨、惣菜、青果、衣料品など様々な店が35軒並び、通称「呑龍マーケット」として親しまれました。 前橋市は、1945年8月5日の空襲で市街地を中心に全市の22%が被災。 呑竜仲店は、そんな焼け野原が広がった市に最初に現われたマーケットということもあり、まさに戦後復興のシンボルでした。

その後、日本は高度経済成長期を迎え、物販業を営む店主たちのほとんどが“手狭になった店舗”を後にしました。 そして、昭和35年頃より呑竜は“飲食店・飲み屋街”のイメージを色濃くしていき、次第に“夜の大繁華街”と変貌していきました。

1982年1月19日の新聞一面
呑竜の火災を伝える新聞各紙

1982年(昭和57年)1月18日、ある店舗の火の不始末から大火災となり、呑竜の23店舗(全体の約3分の2)が焼失。 焼き出された店主たちは、職場の復活を強く望むも、再建資金の問題に直面しました。 更に「飲み屋街の環境衛生が悪い」と一部地域住民の再建反対や当時の地主(大蓮寺)側と地所の利用をめぐって意見の相違が生じ、土地の明け渡しを求められる裁判に発展。 呑竜仲店はいっきに存続の危機に陥りました。

「呑竜を守る会」署名(昭和57年1月)

しかし、当時の店主たちの努力と常連客たちの署名運動による協力がありました。 そして、翌年(1983年)12月23日、共同店舗20店(約430平方メートル)と規模は縮小したものの見事再建を成し遂げました。 資金面は、呑竜を事業協同組合として再編する事により金融機関から5000万円を借り入れ、組合員(各店主)が1人当たり250万円を出資(借金)する方法で凌ぎました。 地主との間に起こった裁判も、提訴から6年越しに和解が成立。 1988年(昭和63年)をもって正式に「呑竜マーケット」の存続が認められました。

当時の店主たち 西側入り口から見た新呑竜 テープカットの様子
上棟式の記念写真 再建したての呑竜 1983年12月23日の落成式

再出発をし賑わいを取り戻した呑竜でしたが、約20年後、再び存続の危機にさらさらされる事となります。 人々の飲食店に対する趣向や外食産業の変化から90年代後半より客離れが深刻化。 これに伴い廃業を決め組合から脱退する店主が多くなりました。 2006年には組合員が4名にまで激減し施設管理など協同組合の運営が厳しくなりました。 残った人々は、大幅な家賃の引下げや宣伝などをし新たな入店者たちに呑竜存続の希望をかけました。

世代により懐かしくも新しくもある呑竜

現在、呑竜仲店には、キャリア50年を越える大ベテランから開業して数年の若手店主たちが各々工夫を凝らしてお店を切り盛りしています。 少しづつですが、組合内の世代交代も進み、呑竜の存続と新たなる発展に動いています。 戦後、様々な変化を経た前橋の街に、幾度の難局を乗り切り生き続けた「呑竜仲店」。 この歴史あるマーケットは、今日も皆様のお越しをお待ちしています。

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